3. フィラデルフィアにおける妨害とインタラクション

フィラデルフィアには妨害の種類が多くは無く、プレイヤー間のインタラクション、つまり干渉が少ないという事にもなります。
しかしこれはカードデザインに欠陥があるわけではなく、むしろシステムとコンセプトに合わせた結果だと言え、当然の調整だと考えています。
フィラデルフィアというゲームは妨害効果を強くしてはいけないとすら思うのです。
「相手のHPを0にする」というのが勝利条件であり、殴り合いが前提のゲームと比較すると、勝利点といったリソースを競うゲームでは他者からの攻撃を受けるプレイヤーが感じるマイナスの感情は大きくなります。
良くある、攻撃を受けて場が盛り上がるから楽しいというケースは、プレイヤーがゲームそのものではなく、一緒にプレイする人間との一喜一憂を楽しんでいるのであって、ゲームはその手段にすぎないケースです。
ゲームを手段ではなく目的とし、ゲーム内容に楽しさを見出すことを追求する「ゲーマー向きなゲーム」のデザインにおける妨害効果は、「基本的にそれを受けるプレイヤーは楽しい思いをしない」という考えを持つべきであり、妨害効果をゲームに実装する場合は慎重な設計と検討が必要だと私は考えます。
妨害が悪だと言っているのではなく、扱い方を間違えると癌になるということです。
逆に、間違えなければ戦略性が大きく増す様なケースもあるため、その判断を誤らない事が重要です。
適切な例としてドミニオンを挙げます。
ドミニオンには多くの妨害効果、凶悪なアタックカードが存在します。
しかし、どんなカードも、それを購入してデッキに入れなければ使われません。
そしてその購入は、全プレイヤー共通のサプライとして、誰もが平等にアクセス可能です。
そのため、アタックが使用される前には、いくつも警告が挟まれます。
アタックを受けるまでにプレイヤーは、まず購入されるのを確認でき、デッキ枚数からそのタイミングもある程度は予想できます。
さらに、当然ながらどんな効果が襲ってくるのかも情報として与えられています。
これにより、ただ攻撃を受けるのではなく、プレイヤーはそれを回避・軽減するため様々な行動と選択肢を取ることができます。
リアクションカードという、明確な防御手段もあるかもしれません。
対抗手段があれば、妨害効果も戦略や判断を促し、奥深い展開をもたらすのです。
これらを踏まえてフィラデルフィアを見てみると、コンボの発見をコンセプトとしているため手札はランダム、防御カードを用意しようがそれを都合よく引けるかは運です。
他者からの攻撃もなんの前兆も無く飛んでくる状態になっては、理不尽以外の何物でもありません。
そもそもコンボを発見し披露するゲームなのに、それを妨害されてはコンセプト崩壊もいい所です。
そのため、例えば「警察署」というカードは掲載してから時間差で攻撃が起こる警告が、他のカードも手札7枚以上といった対象に制限をつけることで対象から外れる立ち回りも可能にしつつ、適切に使えば十分強力になるよう作られています。
以上のように、フィラデルフィアは妨害というインタラクションはあえて薄くしてあり、一人が楽しい思いをするのではなく、プレイヤー全員が楽しめるようにするという、昨今のボードゲームの傾向をなぞる形です。全員が楽しめるというのは、プレイしたい人間が自主的に集まって初めて成立するボードゲームというエンタメの長生きには最適だと思います。
それはゲームのリプレイ性にも繋がります。
そしてセットコレクションという、周りのプレイヤーのカードに注意を払う必要もあるという要素により、間接的な干渉をつけることで補完を図っています。
最後に、ここで述べたことはあくまでフィラデルフィアのような地味というか、Try hard(トライハード)なゲームでの個人的な考えであって、プレイヤーが盛り上がり一喜一憂するパーティーゲームとか、ゲームを手段とする設計がアリなケースも多いと思います。
結局は創るもの次第であり、フィラデルフィアがコンセプト的にたまたまこういった設計になっただけだと言えるでしょう。
執筆者:Yuichi Ebina(ゲームデザイン)